夢ふくらまそう!  愛媛県議会議員 ふくら浩一の活動報告  ~大福日記~

大福日記No.32  パイレーツ・オブ・ムラカミ その2
昨日から、村上水軍の話を歴史学者のように書き連ねておりますが、
特に勉強したわけではなく、我々一族は暗記している事項であります。
退屈でなければ読んでみてください。

昨日、村上水軍が能島・来島・因島の三家に分かれている話をしました。
私、福羅浩一は因島村上一族であります。
今日は因島村上氏についてお話しましょう。

村上氏の系図によると、南北朝の頃、旧越智郡の大島に城を築いて
宮方として戦った「村上義弘」という人物がおりました。
彼以前を村上水軍の前期、彼以降を後期として考えられております。
義弘の孫、義顕のとき三人の子がそれぞれ分家独立しました。

長男の雅房が能島、次男の吉豊が因島、三男の吉房が来島に
城を構えました。それぞれが村上姓を名乗り、この三氏を総称して
三島村上水軍と言われるようになったのであります。

この三島村上水軍が最も活躍したのは、毛利元就に与して
陶晴賢を破った厳島海戦や、織田信長が石山本願寺を攻めた時、
毛利が支援した本願寺衆を助けるため、千艘の大船団で織田軍を
撃破して、見事に兵糧を石山へ送り込んだことであります。

因島村上氏の祖、村上吉豊は、因島に主城「青影城」を建立します。
その後、因島村上氏は11万4500石を領し、領主は200年以上も
続きました。最盛期は六代目、吉充の頃と言われております。

吉豊から10代くらい後、「村上吉親」という人物が出てきます。
因島村上領主、村上朝国の第一家老で青影城の城主であります。
2,169石3斗3合を領した軍奉行であり、30余隊の騎馬隊などを
率いるとともに、4隊の船奉行を統括しておりました。

このお方が、我が一族の正真正銘?のご先祖様だと思われます。
なぜなら、彼が始めて「福羅」姓を名乗ったとされているからです。

その経緯など、また明日以降のお楽しみということで…

by fukura51 | 2008-01-11 19:23 | 村上水軍を語る
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