夢ふくらまそう!  愛媛県議会議員 ふくら浩一の活動報告  ~大福日記~

大福日記No.34  パイレーツ・オブ・ムラカミ その4
まちづくりを考える時、その歴史的・文化的背景をしっかりとふまえ、
住民にそれらを理解していただくこと、そしてその「まち」に住んでいることを
誇りに思ってもらえる様にしなければなりません。

いかに近代化が進もうとも、我々が守っていくべき「伝統」があります。
私たち30代以下の世代がしっかりと踏襲し、後世に伝えていくことは
大切なことでありましょう。
今の日本は経済的なものばかりを追い求めているような気がします。
確かにお金は大事ですが、もっと大事なものもあると思います。

村上水軍のことは少し理解してもらえましたか?
個々の事柄について述べていたら、「その1000」くらいまでいきそうな
勢いであります。
文章だけではイメージが湧かないと思いますので、今日は画像を紹介しながら
お話しましょう。


c0154895_9575561.jpg左が因島村上氏の印であります。
この印を船の帆やのぼりや陣羽織などに染め抜き、瀬戸内海を疾走しておりました。
この印を見た「ならず者」たちは恐れおののき、また「商人」たちは首をすくめて通行料である、帆別銭(ほべちせん)を支払いました。



c0154895_10133520.jpg彼らを怒らせたら、こんな船で
襲ってくるんですね~!
もっとも、戦闘集団の船は小早船(こはやせん)というもっと小さい小回りの利く船でした。
もちろん本当の武将でしたから、
理由なく略奪したり戦闘をしていたようなわけではありません。


また彼らは戦闘ばかりしていたのではなく、海外に渡り貿易も行っていました。
外国の書籍や商品を日本に持ち帰り、文化の向上に大きく貢献しています。
商業利益があれば、中国・朝鮮半島はもちろん、ベトナム・インドネシア海域、
インド洋までも航海していたようです。

我が地元の今治地域に海運業者が多いのは、やはり水軍の流れでしょう。
もちろん戦闘はしておりませんが…

c0154895_1054855.jpg左は村上水軍の総本山「能島」です。
干満ごとにまるで谷間の渓流のような勢いで潮が流れる宮窪の海の真ん中で、島ごと海城となっていました。
四周が城の石垣のように切り立ち、その上に居館や武器庫が造られておりました。
まわりの岩礁には桟橋や船がかりの柱穴跡が沖に向けて並んでいます。
最盛期の惣領、村上武吉に会い、この場所を見たイエズス会宣教師ルイス・フロイスの『日本史』に、「航海者が最も恐れるのは
能島殿」と書かれるほどの勢力でした。

彼らは「海賊衆」と呼ばれ、恐れられていましたが、これは中世において
「水軍」という呼び名が無かったからであって、決してならず者で略奪をしていた
「海盗」のような集団ではありませんでした。

キリが無いのでまた明日以降にしましょう。

by fukura51 | 2008-01-09 12:49 | 村上水軍を語る
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